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夜更け前

映画と社会学

ウィンターズ・ボーン: 部族 : システムと切り離されたヒト

wikipedia

部族(ぶぞく、tribe)とは、民族[1]氏族と同様に、同一の出自や歴史的背景を持ち、共通の文化言語、価値観の上で共同生活を営むとされる集団の単位のこと。

 

ヒトは何か(コミュニティ)に帰属しなければ生きていけない。そして帰属すべき対象としては20万人以下でなければならない。それ以下であるならば個人がその他の集団に対して共感感情を維持できる。(宮台真司氏が指摘したように、20万人以上の集団ではテレクラ文化は衰退するのだ。)

 

コミュニティがその対象であるためには独自性が必要である。昔は物理的距離が独自性を成立させていたかもしれない。独自性のためには価値観はもちろん、そのコミュニティ独自の”オキテ”が必要である。潜在的にコミュニティは排他的である必要があるかもしれない。

 

部族はコミュニティとして機能することは期待できない。現代においては個人が生活するのに部族に依存する必要がなくなったことは大きいかもしれない。

 

部族に従属していたヒトは国には従属することはできない。国はコミュニティとして成立しないことは彼らにはわかっており、多くの他のヒトがもつような幻想を国にいだくことはできない。彼らは何か別なかコミュニティを探すか、探せなければ深刻なアイデンティティの危機に陥る。

 

ここでいくつか思ったこと。

1:今まで国家をコミュニティとして思ってきたヒトが幻想から目覚めた時、彼らはどこにいくんだろう。行くべきなんだろう。部族に属していたヒトと違うのは、”感情の劣化(他社に対する共感感情の欠如)”というものが彼らには起きている可能性が高く、知識としてその問題に気づいたとしても、目的の場所に辿りつけない可能性はある。

 

2:コミュニティとして機能するものは、国家と対立することが多いのだろうか。あるいは、潜在的にそうなんだろうか。